小さい頃は・・・。
標津町広報紙「広報しべつ」2002/2月号より

 
★大菅選手のご両親に聞く

−− 小百合さんのオリンピック出場おめでとうございます。
大菅 ありがとうございます。

−− 今の心境は。
大菅 自分の子供がオリンピックに出場することは、今でも信じられないです。夢みたいですね。

−− 小百合さんの小さいときは、どんな子だったのですか。
大菅 元気の良い、体はわりと丈夫な子でした。負けず嫌いで、何でも自分のことは自分でやっていましたね。

−− スケートを始めたのは、いつごろからですか。始めたきっかけは。
大菅 たしか三歳のときだったと思います。「小学校の記録会で滑れないとかわいそうだよ」と、回りのお母さん方から進められたのが始めたきっかけでしたね。

−− 小、中学校のころは、スケートのほかに何かスポーツはやっていたのですか。
大菅 四歳ごろから小学六年まで空手を。中学ではソフトボールをやっていました。本当は野球を一番やりたかったようでしたが。女子でしたので…。とにかくスポーツは大好きだったようです。

−− 小百合さんを育ててきた中で、特にこうしてきたと言う子育て論的なものは。
大菅 そうですね。親としては、「やりたいことは何でもやらせてあげたい」が持論。しかし、やるからには中途半端ではなく、やめるにしても、ある一定のところまではやること。そして、後悔のないように。また、人には迷惑を掛けないように、と子供たちに言ってきたつもりです。

−− 今や大菅選手は、標津町民の誇りであり、日本を代表する選手です。オリンピックでの活躍を期待しています。両親から町民の皆さんに一言どうぞ。
大菅 激励会(十二月三十日)では、多くの皆さんに来ていただき、本人もすごく喜んでいました。ありがとうございました。皆さんの温かいご声援のお陰で、オリンピックに出場することができ、感謝の気持ちでいっぱいです。これからもよろしくお願いします。
 

 
★当時の校長先生、同級生に聞く

◎当時の標津中学校・校長の山西幸三さん(現・町教委勤務)に聞く
山西 絶えず前向きな考えで、明るい性格で活発。それでいながら落ち着きがある生徒でした。部活ではスケートのほかに、ソフトボールに。投手で三、四番を打つ中心選手。三年連続で全道大会に出場。大菅さんの速球にはびっくりするほどの威力があり、体にバネありましたね。見ていてすごいと思いましたよ。
また、三年のときは生徒会長として、学校のリーダー役で活躍。好感が持てる生徒でしたね。

◎標津小、中学校当時の同級生だった小野史人さん(現・中京大三年)に聞く
小野 大菅さんとはスケートスポーツ少年団で、小、中学生でずっと一緒でした。性格は明るくて、負けず嫌い。プラス思考で物事を考えていました。頑張りやで、スケートの練習も熱心。女子の中では、ずば抜けていました。中学のときは、男子よりも速かったのを覚えています。性格は昔とまったく変わっていないですね。
 

 
大菅小百合さんの生い立ち

●昭和55年(1980)10月27日
  父・一彦さん、母・はるみさん の長女として生まれる

●昭和61年(1986)4月
  標津小学校入学。
  同年、標津スケートスポーツ少年団入団。

●平成4年(1992)4月
  標津中学校入学

●平成7年(1995)4月
  白樺学園高校(スケートの名門校・帯広)入学。

●平成10年(1998)4月
  三協精機入社(長野県)。現在に至る
 

Copyright (C) 2001-2002 by Far East IT Center Inc. All Rights Reserved.
協力・ WEBデザイン・製作:NPO極東情報技術推進センター



Shibetsu-Town Official Web(C)